高橋万見子、野島淳、佐藤武嗣、宮地ゆう

政治家と官僚が未分化だった藩閥政治から本格的な政党政治へと統治の形が変わると、官僚機構は、政党を支える組織として機能し始める。初期の官僚に代わって中軸となっていったのが、大学で外国の法科体系を学んだ「学士官僚」だ。ただ彼らは、政治任用を多用し横断的な人事で政官融合を狙う政党と結びついた。 このため、癒着体質も生じた。二大政党制へと移行し、政党間の綱引きが強まるにつれ、対立政党の息がかかった官僚を排除するのが慣行となる。政権交代のたびに100人単位で官僚が入れ替わる時代がしばらく続いた。 昭和初期になると、大正デモクラシー下で高等教育を受けた世代が現れ、政党との協働関係を否定して「官僚政治」の道を開いていく。「革新派」と呼ばれた彼らは、やがて政党の弱体化とともに軍部の台頭を許し、日本は戦争へと導かれていった。